Blog浦島ブログ
戦国最強騎馬隊~武田3代~を追いかけて26’壱巻
2026.02.15
皆様こんにちは!島浦です。
さあ2026年初の城巡り・・・
今年最初はこちら!!
戦国最強騎馬隊~武田3代~を追いかけて26’
でございます👏👏👏👏
一応おさらい・・・
武田3代とは
武田信虎
武田信玄
武田勝頼
の事を指します
武田信虎を息子信玄が国外追放し
信玄亡き後勝頼が跡を継いで武田家滅亡
といった流れですね!
今まで武田家ゆかりの地にはたくさん行きました!
・躑躅ヶ崎城跡4回(武田神社)
・長野県川中島3回
・海津城跡(松代城)
・長篠城跡 設楽原2回
・高天神城跡
・小諸城跡
・岩殿城跡
・新府城跡
・葛尾城跡
※村上義清の本城 撃退
・高遠城跡3回
・諏訪大社
・甲斐善光寺
・恵林寺
などなど・・・
意外とめちゃくちゃ行ってる笑
何を隠そう武田信玄ファンなんです
今回はどうしても行きたい場所があり
休みを取って行ってきました☆
それでは振り返ってみましょー
武田家といえば山梨県甲府・・・
甲斐の国
その昔
政治の中心という意味「府中」
「甲斐」が政治の中心
甲斐府中→甲府
となったんだとか

中央道で一路山梨へ

朝飯
スイスイ混雑無し!近いもんですねえ
勝沼で降りて・・・
いざ最初の目的地

「景徳院」
何のお寺かというと

いきなり武田勝頼公のお墓へ
「景徳院」
武田家終焉の地。徳川家康の命により建立された寺で
境内には武田勝頼公親子が自刃した
生害石やお墓があります。HPより
いきなり終焉の地から
~流れ~
力を失った武田勝頼は
織田徳川連合軍に追い立てられ
小山田信茂がわが城「岩殿山」(大月市)
にて立て直しを進言
小山田信茂による裏切り発生
向かうと城を閉ざされあえなく方向転換
いざ武田家の聖地天目山柄雲寺へ
しかし焼け払われており最後の戦いの地へ


ここで敗れて自害を決意したという・・・
・
・
・
・
戻します


雪交じりがなんとももの悲しさを強調




ここで首を洗ったとか
この日のこの場所は1°でした
つららがはかなさを引き立ててます

少し登ると

没頭地蔵
その名の通り家族で首を斬られて
この地で倒れていたという

辛すぎます

辞世の句


いろいろ考えさせられますね
武田勝頼公辞世の句
「朧なる月のほのかに 雲かすみ 晴て行衛の西の山の端」
に対して
最後まで戦ったという

土屋昌恒
※狭い崖道の藤蔓を片手でつかみ、もう片方の手で
刀を握って戦ったが(「片手千人斬り」)
ついに討たれたのである
昌恒が斬った敵兵1000人にもなるという
返歌
「俤の みをしはなれぬ 月なれば 出るも入るも おなじ山の端」

お墓



山門

庭園へ



厚い氷




ということでかなり衝撃を受けた地
お別れを告げ次の目的地へ
つづく
景徳院~センゴクトラベラーインスタ~
↑ぜひフォローお願いします↑
さあ2026年初の城巡り・・・
今年最初はこちら!!
戦国最強騎馬隊~武田3代~を追いかけて26’
でございます👏👏👏👏
一応おさらい・・・
武田3代とは
武田信虎
武田信玄
武田勝頼
の事を指します
武田信虎を息子信玄が国外追放し
信玄亡き後勝頼が跡を継いで武田家滅亡
といった流れですね!
今まで武田家ゆかりの地にはたくさん行きました!
・躑躅ヶ崎城跡4回(武田神社)
・長野県川中島3回
・海津城跡(松代城)
・長篠城跡 設楽原2回
・高天神城跡
・小諸城跡
・岩殿城跡
・新府城跡
・葛尾城跡
※村上義清の本城 撃退
・高遠城跡3回
・諏訪大社
・甲斐善光寺
・恵林寺
などなど・・・
意外とめちゃくちゃ行ってる笑
何を隠そう武田信玄ファンなんです
今回はどうしても行きたい場所があり
休みを取って行ってきました☆
それでは振り返ってみましょー
武田家といえば山梨県甲府・・・
甲斐の国
その昔
政治の中心という意味「府中」
「甲斐」が政治の中心
甲斐府中→甲府
となったんだとか

中央道で一路山梨へ

朝飯
スイスイ混雑無し!近いもんですねえ
勝沼で降りて・・・
いざ最初の目的地

「景徳院」
何のお寺かというと

いきなり武田勝頼公のお墓へ
「景徳院」
武田家終焉の地。徳川家康の命により建立された寺で
境内には武田勝頼公親子が自刃した
生害石やお墓があります。HPより
いきなり終焉の地から
~流れ~
力を失った武田勝頼は
織田徳川連合軍に追い立てられ
小山田信茂がわが城「岩殿山」(大月市)
にて立て直しを進言
小山田信茂による裏切り発生
向かうと城を閉ざされあえなく方向転換
いざ武田家の聖地天目山柄雲寺へ
しかし焼け払われており最後の戦いの地へ


ここで敗れて自害を決意したという・・・
・
・
・
・
戻します


雪交じりがなんとももの悲しさを強調




ここで首を洗ったとか
この日のこの場所は1°でした
つららがはかなさを引き立ててます

少し登ると

没頭地蔵
その名の通り家族で首を斬られて
この地で倒れていたという

辛すぎます

辞世の句


いろいろ考えさせられますね
武田勝頼公辞世の句
「朧なる月のほのかに 雲かすみ 晴て行衛の西の山の端」
に対して
最後まで戦ったという

土屋昌恒
※狭い崖道の藤蔓を片手でつかみ、もう片方の手で
刀を握って戦ったが(「片手千人斬り」)
ついに討たれたのである
昌恒が斬った敵兵1000人にもなるという
返歌
「俤の みをしはなれぬ 月なれば 出るも入るも おなじ山の端」

お墓



山門

庭園へ



厚い氷




ということでかなり衝撃を受けた地
お別れを告げ次の目的地へ
つづく
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